まちの緑のメンテナンス〜量から質へ

 たとえば、夕焼け空を見ると、その美しさによって日々の辛いことを忘れ、希望を抱き、前向きな気分になる、という経験は、
皆さんも少なからずおありだと思います。
このように、自然の美しい風景は、人の脳や身体に良い影響を与えるということが、経験的にも科学的にも認められます。
 「自然が脳や身体のメカニズムにどんな影響をもたらすか?」というテーマで、いろんな研究をまとめたものに、「NATURE FIX自然が最高の脳を作る」(フローレンス・ウィリアムズ著 NHK出版)という書籍があります。
 その本によると、人は森林の中を歩くと、芳香性のある揮発物質によって、免疫力を向上させるNK細胞の数値が上がったり、
ストレスを感じた時に増加するコルチゾールという物質の数値が下がったり、血圧や心拍数も落ち着いたりというデータもあるとか。
 同様の効果は、遠く離れた森林でなくとも、街中の公園でもえられると書かれています。
枝をブツっと切られた姿にもストレスを感じる方もいらっしゃいます。お子様などには腕を切られたように見えてしまう場合も。
逆に、街の中の木々が枯れたり病気になるのを見ると、人はそこから強いストレスを受けるということ、公園がない街とある街では病気になる率や死亡率が上がる、という記述もありました。
欧米では、このような考え方を行政も重視し、街路樹を増やす都市もあるようです。例えば、ワシントンDCでは、今後の20年間で街路樹を40%増やすべく、年間8600本以上の木を植えてきたと、書かれています。
つまり、情緒面から得られるプラスという、今の時代軽く見られてしまいそうな要素を、大切にしはじめたということです。
さて、日本はどうでしょうか?
 特に、地方はどこも財政が厳しく、管理費を少しでもカットしたいがために、街路樹の「本数」を減らす、あるいは土の「面積」を減らすという話をしばしば聞かされます。また、少ない管理費で、少しでも早く本数をこなせるように「ぶつ切り」と言われるような、見た目にも木々の生育的にも良くない切り方が多く見られるます。
これらから、今の日本の社会では、公共の緑のメンテナンスは、数量的な出来高が基準になっているように見えます。
 行政としては、財政面を考えると、これがベターな選択と考えているのでしょう。
また、財政面とは違う視点においても、近年の気象変動、特に大型化した台風に対応して、倒木に備えて「街路樹を少なくする」という考え方もあるようです。
 行政は、あくまでも市民の生活の安定や安心、安全を考えて結論を出しているというに違いありません。
神戸大丸前のケヤキ並木は、ケヤキらしい樹形と感じます。まちの雰囲気を高めているようにも感じます。姿形がもたらす影響も考えるべき。

その考えは、そこだけを見れば間違っているわけではないと思います。しかし、日本の国や地方、そして私たちも、そろそろ生活の安定や安心、安全の確保を「量的な」対策だけではなく、「質」を向上させることで得る方法を考えはじめられないものでしょうか。

「NATURE FIX」で取り上げられている研究を見ると、たとえ一本の木でも人の心や体へのプラスの影響があるとされています。ゼロであるのとは雲泥の差があるとされています。一本一本の木に接した時に、夕焼け空を見たときのような、穏やかな心持ちにさてくれる樹形を目指すメンテナンスに、変えていくことはできないだろうか。
そこそこの数があっても、腕をブツっときられたような姿は、人の心や身体にストレスを与えます。そのストレスが元で市民の心や身体の調子を悪くするとしたら、その時はコスト面でプラスにはなったように見えても、長い目で見ればマイナスの結果になると言えるのではないでしょうか。
道に張り出している枝ですが、「頭上注意」の表示札をみきに貼り付けています。、通る人が「木に対して、

求めるべき「質」とは、具体的には、その木が美しく見える姿=自然の風景に近い姿であり、木々の生育にとっても人の暮らしにとってもプラスになるような土壌の環境であり、人の暮らしの中に自然の営みが少しでも組み込まれるような場所になることだと考えます。

 従来のメンテナンスのあり方を考え直さない限りは、そこには到達できないでしょう。
 単に「切るな」というだけでなく、そして「数字」の議論だけではなく、「切り方」「残し方」「接し方」の「質」を見直すための議論をする時期が来たのではないでしょうか。